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登山・マラソンの記録
積丹ツーリング
積丹ツーリング(2009年7月11日-12日)
【いざ出発】
かねてより予定していた、積丹ツーリング。 ほんとは大学時代の友人と2人で決行!・・・の予定だったが、友人が直前にギックリ腰になってしまい断念することに。友人はたいそう残念がっていたが、今回は仕方なく僕一人で行くことになってしまった。 愛車Sirrus(シラス)に、リヤキャリアを取り付けて荷物を積み込む。普段つけている泥除けは邪魔になるので外してしまった。
北5条通りをまっすぐ進み国道5号線に合流。札幌市内はほとんど坂道もなく信号待ちをしながらゆっくり進んだ。自転車の後ろに積んでいるバッグは両脇に荷物を振り分けることの出来るパニアバッグだが、走り始めてすぐにこの手のバッグが必須であることがわかった。
最初、スポーツバッグに荷物を詰めてキャリアに積んでネットで固定、という方法を考えていたが、キャリアに直接荷物を積むと重心が高くなってしまい、自転車の走行がかなり不安定になるのだ。出発直前にネットショップで注文して本当に正解だった。
札樽自動車道の下を走る張碓の長い坂道を登ると小樽市街がグッと近づいてくる。
小樽の町に着いたときは少し霧雨が降っていた。ひとまずは定番写真を撮ろうと小樽運河に立ち寄ったが、中国人らしき観光客が多くてなかなか写真が撮れない。やっとのことで人がいなくなったが、空が青空でないので写真の撮り方も適当である(笑)。
その後、小樽市内でタイヤの空気圧をあわせておくことにした。本来ならば出発前に空気圧の調整が必要なのだが、自宅の空気入れには圧ゲージがついておらず、適当に入れてしまっていた。ここから積丹まではおそらく自転車屋はないだろう。小樽市内の自転車やさんで空気入れを借り、タイヤの空気圧を9BARに合わせた。
小樽から20kmほど走り、11時30分に余市に到着。気温は涼しかったので自転車を走らせるには最適だったが、それでも、ここに来るまではかなりの水分補給を要した。昼も近くなっていたので昼食を摂ろうとも考えたが、積丹でウニ丼を食べたかったので、ここではリンゴ味のジェラートを食べて誤魔化すことにした。
その後、余市から国道229号線に入り、一路積丹を目指して走り始めるのであった。
【生ウニ丼と温泉と・・・】
余市から国道229号線に入ると、すぐに上り坂となる。出足平峠と呼ばれているが、これが結構バカにできない坂道だ。車通りはそれほど多くないとはいえ道幅もせまく注意を要する。
やっとの思いで坂道を登り切ると、梅川トンネルが現れた。国道229号線には自転車にとって危険なトンネルがいくつかあり、その代表が梅川トンネルとワッカケトンネルである。
梅川トンネルは全長295メートル、幅5.5メートルで狭くて歩道はない。このトンネルは前後のライトを点灯し車の切れ目を見てなんとか通り抜けることができた。
しかし次のワッカケトンネルが問題だ。全長498メートルと長い上に歩道はまったくなく、路面もガタガタで微妙なカーブがあり、トラックなどが往来していて対向車が来ようものなら轢かれてしまいそうになるトンネルだ。実はこのトンネルの山側には新ワッカケトンネルが建設予定されていた。しかし現在は土地の所有権の問題で工事が3年以上も頓挫している。まだしばらくこのトンネルとお付き合いしなければならないと思うとちょっと辛いものがある。
(追記:ワッカケトンネルは平成22年3月2日に新トンネルになりました。)
それからしばらく進むと、豊浜トンネルが見えてきた。1996年に岩盤崩落事故があったのは記憶に新しい。崩落事故があったのは、前述のワッカケトンネルと同じ時期に作られた旧豊浜トンネルである。数々のドキュメンタリーでも報道されたが、やはりその当時のテレビの生中継が一番生々しかった。救出に時間がかかりすぎ、待ちわびた家族が閉じ込められたわが子を想い、「腕の1本や2本なくなっていてもいいから生きててほしい。」と、嗚咽を漏らしていた光景が今でも鮮明に思い出される。あれから13年がたつが、ご遺族の心境を思うと本当に胸が痛む。
さらに自転車を走らせて、ついに積丹町に突入!ちなみに積丹町のカントリーサインは、神威岬とエゾカンゾウをモチーフとしている。このあたりから少しずつ、霧雨のような天気となってきた。なんとも不安定な天気だ。明日はちゃんと晴れてくれるのだろうか。
この時点で時計は13時5分を指していた。積丹岬まであと一息というところまで来たが、実はこの後でとんでもない難関が待っていたのだった。美国から積丹岬まで行く途中には長ーい上り坂があることを知らなかったのである。 それからの1時間はただひたすらヒィヒィ言いながら自転車をこいだ。聞こえるのは自転車をこぐ音と、自分の荒い息だけだ。そしてついに坂を登る途中で、少しも自転車をこげなくなってしまい、自転車を降りて押して登ることにしてしまった。
いかに疲れているといっても明らかに体のパフォーマンスが落ちている。そこで初めて僕は、余市で昼食を摂らなかった事を後悔した。いや、昼食は摂らなくてもカバンにチョコレートでも入っていたらこんな疲れ方はしなかっただろう。登山するときは必ずザックにチョコレートやらブドウ糖を欠かしたことはないのに、街の中を走ることが多い自転車ではそんなことまで頭が回らなかったのである。
やっとの思いで国道229号線経由で積丹半島の先端に到達し、つきあたりを右折して道道913号線にはいると、待ち焦がれたウニ丼屋に到着した。ここには有名なウニ丼屋さんが2件並んでいる。
"みさき"と"中村屋"だ。今回は"みさき"の方に入ってみた。
数量限定の「赤バフンウニ丼」はすでに売り切れ。まぁある程度予想はしていたが・・・。そこでオーソドックスな「生ウニ丼」を注文。お値段2,350円。活ウニ付のセットメニュー(3,000円)もあったが値段を考慮しやめておいた。このあたりはやはり貧乏根性が抜けていない。
ただ惜しむらくは、あまりにお腹が空いていたのでゆっくり味わうことないまま4分の3以上を一気に食べてしまったことだ。ハッと我に帰るとウニ丼はほとんど無くなっており、その濃厚な甘さをじっくり味わったのはほんの一口だけであった。
お腹が落ち着いたところで島武意海岸の真下にある積丹岬キャンプ場に向かった。しかし現地に着いても観光客の姿は見えるものの、キャンプ場には人っ子一人おらず閑散としていた。炊事場に行ってみても水がでない。あわててキャンプ場の電話番号に電話をかけてみたが、受話器からは「この番号は現在使われておりません・・・」とお決まりのアナウンスが流れるのみであった。あとからわかったのだが積丹岬キャンプ場はすでに閉鎖になっているようだ。
やむなく4kmほど引き返し、海岸沿いの野塚野営場にテントを張ることにした。前情報では砂浜のキャンプ場なので自転車の乗り入れは難しいと言われていたが、実際には駐車場近くに自転車を止めてすぐそばにテントを張ることができるし、近くに温泉や商店もあったので結果的にここにしてよかったと思った。天気も悪くてキャンプ客があまり多くなかったのも幸いしたのかもしれない。
ちなみに今回持参したテントは写真のごとくフライシートもない、かといってゴアテックス製でもないただの安テントである。シュラフもスポーツ用品店で買った安価なものだったので寒さで眠れないことを心配していた。自転車や登山のような人力移動の場合にはなるべく軽量コンパクトが求められるがそういうテントやダウンシュラフはそれだけで4-5万円もしてしまうし、年に1-2回の自転車ツーリングのために新規購入するにはハードルが高すぎたのである。それで今回は寒さ対策のために古いスキーウェアを持参していた。これならばしっかり丸めればティッシュの箱1個半くらいの大きさにはなるし毛布などのようにかさばることも少ないと考えたのだ。結果的にこの日の天候は温かく、スキーウェアのお世話になることはなかったが荷物の軽量化(と身の安全)のため、今度はもう少しましなテントと、できればダウン製のシュラフを購入したいと考えている。
テントの設営が終わると、重い荷物をテント内におろして町営温泉、「岬の湯しゃこたん」に向かった。ここは知る人ぞ知る眺めのよい温泉である。入館料が700円と以前より少し値上がりしたらしいが、その値段を補って余りある場所であった。露天風呂からは神威岬と積丹岬が望め、天気が良ければ海に沈む夕日を眺めることができる。
湯に浸かると、少しヌルヌルした感触の泉質で少ししょっぱい感じがあり明らかに硫黄泉とは違うなぁと思っていたら、やはり実際にはナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉で神経痛や筋肉痛、関節痛などによいのだとか。 足を延ばしてゆっくり露天風呂に浸かっていた時、僕はあることに気がついた。空にはどんよりと雲が覆っていたが、水平線に近いわずかな部分だけが雲が切れて晴れていたのだ。これは夕焼けが期待できると確信し、僕の心は高鳴った。その時の時刻は17時すぎ。この日の日没は19時18分。これからゆっくり湯に浸かってもまだたっぷりと時間がある。
今から積丹岬に行ってみよう。そう決心した僕は17時半すぎに岬の湯しゃこたんを後にしてキャンプ場近くの商店でビールを調達して夜の準備を整えると、夕焼けに期待しつつ再び積丹岬まで自転車を走らせるのだった。
【積丹岬の夕日】
積丹岬の島武意海岸に着いたときは18時半近くになっていた。相変わらず空には厚い雲がかかっていたが、予想通り水平線の裾だけ雲が切れていた。日没直前に太陽が顔を出すと、ものすごくきれいな瞬間に出会えるに違いない。最近風景写真を撮っていなかった僕は久々のチャンスに胸が高鳴った。西の空には屏風岩の向こうに漁船のシルエットが浮かび上がっていた・・・。
積丹岬には観光客が何人か訪れていたが、あたりは大分暗くなってきていて曇っていたので、少しだけ景色を眺めて帰ってしまう人が多かった。いい瞬間はこれからなのに・・・と、僕は帰っていく人を気の毒に思った。そして待ちに待った日没間際。ついに水平線の直上に真っ赤な太陽が顔を出した!
ほんの数分間のドラマだった。今日は一日中雨模様の天気だったので、最後の最後できれいな夕日を見られて一日の疲れが一気に吹き飛ぶ心地がした。残念ながら日没後の夕焼けは思ったほどにはならなかったが、明日の晴天を期待させるには十分すぎるほどであった。
日没の余韻に浸っていたら時刻は19時半を回っていた。あたりはどんどん暗くなってきたので急いでキャンプ場に戻ることにした。ビールはすでに調達してあるし、夕食はレトルトカレーを温めてソーセージを焼くくらいの簡単なものだから準備もさほど時間はかからない。いや、実を言うとそのくらいしか料理ができないのだけれど・・・(笑)。
キャンプ場に戻ると家族連れが打ち上げ花火をやっていた。僕はテントに入ると波の音を聞きながらビールを片手に観光マップを開いた。
そしてランタンの灯を眺めながら学生時代にバイクで北海道一周したときのことを思い出していた。あの頃はできるだけ短時間にいろんな場所を見て回るのがいいと思っており、チャリダーに対してはなんでわざわざ疲れてまで自転車で北海道を走るのかと考えていたことすらあった。ところが今はまったく逆だ。何時間も同じ姿勢でバイクに乗り続けて肩や腰にくる不健康(?)な疲れ方をするよりも、短い距離でも自転車で走った方がよっぽど楽しく、いい汗をかくことができるのだ。
明日は晴れてくれるだろうか。そんな想いを胸に僕はまもなく深い眠りに落ちて行った。
【1日目データ】
走行距離:131.22km
走行時間:6時間28分47秒
平均速度:20.2km/h
最高速度:49.1km/h
【ああ、積丹ブルー】
12日の朝は5時頃に目が覚めた。テントから外を見やると昨日とは打って変わっての晴天だった。でもあまり急いで起きても仕方がないのでテントの中でゆっくりシュラフをたたんだり片付けをし、ボチボチ朝食の準備を始めた。
朝食はラーメンを作った。先日京都に行った時に買ってきた「天下一品ラーメン」である。ご存知の方もいると思うが実はかなりこってり系のラーメンである。予備校時代に初めて食べて感激した僕は、それ以来このラーメンの虜となってしまったのだ。北海道に店舗がないのがとても残念である。
キャンプ場から西の方角を見ると、神威岬がくっきりと望まれた。望遠レンズを取り付けて写真を撮影する。
実は今回は神威岬は行かない予定にしていた。ここから神威岬までは10km近くあるので往復20kmは行程的にちょっときついし、神威岬は3年前にも車で行ったことがあったからだ。しかし3年前の時は夕方だったので積丹ブルーの神威岬は見たことがなかった。
5秒間くらい考えてからやはり神威岬にも行くことを決意した(早)。テントをたたんで荷物を自転車に積み込み準備を整えた。時刻は7時すぎ。あまり早くに着いても太陽が昇りきっていないと青空にはなってくれないのでのんびり行くことにした。この時刻になるとライダーも次々にキャンプ場をあとにして次の目的地へと向かっていった。
人が少なくなってから神威岬と自転車を撮影し、お世話になったキャンプ場を後にした。
神威岬に着いたとき、空には晴れ間も見えていたが、なぜか太陽のある位置にだけ雲がかかっていて岬は陰になっていた。これでは折角の青い海が台無しだ。やむをえず僕は30分間だけ、太陽が顔を出すのを待つことにした。しかし雲は一向に過ぎ去る気配はなく、とうとう時間が迫ってしまった。あきらめて帰ろうと思った瞬間、太陽を覆っていた雲が一斉に過ぎ去り、見事な積丹ブルーの神威岬が眼前に広がった!
神威岬はチャレンカの小径と呼ばれる遊歩道を通って岬の先端まで歩くことができる。3年前には先端まで歩いたが、今回はこの景色が目的だったのでここで引き返すことにした。眼下には青い海を滑るように走るボートが気持ちよさげであった。
【さらば、神威岬】
思いのほか時間を食ってしまったので急いで積丹岬に戻る。さらば、神威岬よ。すばらしい"青"をありがとう。岬からの長い下り坂を降りるとき、はるかかなたに積丹岬が見えたので、自転車を降りて写真を撮影した。こういう気軽な写真撮影は、車やバイクでは難しいだろう。
神威岬での30分の待ち時間が功を奏し、天気はどんどんよくなっていった。道も平坦な道が続いていたので周りの景色もよく見える。
不思議なものでずーっと自転車をこいでいると自転車に乗っていることを忘れて、空を飛んでいるというか、風に浮かんでいるというか何とも言えない心地よい錯覚に陥った。こういう感覚が自転車ツーリングの真の楽しさなのかもしれないと僕は思った。軽快に歌を口ずさみながらしばらく進むといつの間にか神威岬がずいぶん遠くになった。海沿いの岩場ではたくさんの家族づれが海に潜ったり、バーベキューをしたり思い思いに過ごしている。今度は家族も連れてこないとバチが当たるな、と時間をくれた妻と子供に感謝するとともに、ギックリ腰の友人のことも思い出していた。
道路はとても走りやすかったが、いたるところにウニの殻が落ちているのには閉口した。しかも、この暑さでものすごく乾燥して鋭利な針の玉となっており、自転車で踏みつけたらパンクはまぬがれないだろう。
道路は海岸から5-6メートルも上にあり、ウニが勝手にジャンプして来るはずもなし、殻も割れて中身が食べられているからやはり密漁はまだあるのだろう。
思い起こせば20年以上前、僕も父親からウニの採り方を教わったことがある。そして父は漁師ではない・・・。とすれば三段論法で父は密漁していたということになるのだが、もちろん今ではそのような悪事はしていないし、僕もウニの採り方を子供に教えるつもりもない。我が家におけるウニ採りの極意は僕の代を持って封印されることとなるのだ。
そんな下らないことを考えていたら、まもなく積丹岬の標識が見えてきた。
【紺碧の島武意海岸】
積丹岬の坂を登っていくと、売店などがあって賑わっていた。昨日も夕日を見るために訪れた場所だ。そこを右側に少し歩くと島武意海岸へ向かうトンネルがある。写真のように明かりもない暗ーいトンネルを歩いて行くのだ。このトンネルはニシン漁が盛んだった時代に、水揚げされたニシンを運ぶため明治28年に掘られたトンネルなのだそうだ。自転車のライトを点灯し押して歩いていく。
トンネルを抜けると、必ず誰しもが「すごーい」と声を上げる。もちろん僕もその例外ではなかった。眼前に真っ青な積丹ブルーの海が広がっていたからだ。 島武意海岸は日本の渚百選にも選ばれたという、透明度の高い海岸だ。ここから階段で下まで降りることができる。
積丹ブルーの海と、屏風岩がとても美しかった!
最初、写真を撮るときに人が邪魔だなあと思っていたが、逆に人を入れた方が岩のスケールが伝わることに気づいてわざと入れてみた。また蛇足だが島武意海岸の屏風岩は午前中が順光で、午後になると逆光になるので写真目的で訪れる人は午前中がよいと思う。
海岸で遊ぶ人の姿が見えた。 どこまでも続く積丹ブルーの海岸。
写真を撮っていると若いカップルがやってきた。彼女の方は海岸まで降りてみたかったらしく、「下まで降りようよ。」と言っていたが、彼氏の方が「降りたらまた登ってくるの大変だし・・・。」と弱音を吐いていた。結局彼氏は無理やり下まで連れて行かれたが、特別な事情がない限りこういう情けない男にはなりたくないものである。
この時点で時刻は10時近くになっていて、そろそろ札幌に戻らないといけない。でも積丹に来たからには訪れておきたい場所がもう一つあった。僕はそうそうにカメラをしまい次の目的地へむかうのだった。
【女郎子岩の伝説】
積丹岬の駐車場からトンネルをくぐらずに右側の坂道を登っていくと遊歩道が伸びている。シララの小路とよばれ、幌武意までの4.7キロメートルのアップダウンの多い山道だ。時間的に余裕はなかったが地図にも載っている奇岩を求めて歩くことにした。
出岬灯台までは舗装されているので、自転車を押して坂道を登るとまもなく展望台があった。
展望台の近くでデジスコを構えて写真を撮っている方がいた。早速話しかけてみると、ミサゴが営巣してヒナが生まれているのだとのこと。
これは珍しいものが見ることができた。僕も早速自分のカメラで撮影してみるが200mm(35ミリ換算で320mm)では全く望遠が足りず、トリミングしまくってやっとこんな感じだ。それでもちゃんと解像しているから、やはりキヤノンのEF70-200mmF4LISは素晴らしいレンズだなぁと変なところで感動する。
出岬灯台からは山道となる。ここからは自転車では行けないので置いて歩くことにした。積丹で一番美しい岩とされる女郎子岩(じょろっこいわ)までは30分ほど歩かなければならない。大半は展望がない道だがところどころに展望の開ける場所があり、美しい海を見ることができた。
しばらく歩くと、ようやく女郎子岩が眼下に現れた!
ブルーの海に立つ女性的な形の岩が何とも美しく見えた。
伝説によると、源義経がここを訪れた際に酋長の娘シララ姫と恋仲となった。いよいよ別れの時がくるとシララ姫は涙ながらに義経を追いかけたが大波にのまれて命を落としてしまう。その直後にこの岩が海に姿を現した。誰しもがシララ姫の化身と信じ、いつしか女郎子岩と呼ばれるようになった・・・とのことである。
神威岬のチャレンカの小路も同じような義経にまつわる伝説があったはずだ。義経はなんとも女泣かせな男である。 もと来た道を駐車場まで戻ると時刻は11時を回っていた。僕は急いで自転車に乗ると思い出の積丹半島に別れを告げ、一路札幌へと向かうのだった。
【そして帰路へ】
美しかった積丹半島を後に、札幌へと進む。岬から美国までの坂道はやっぱりつらかった・・・。右の写真は、美国の黄金岬と宝島である。ニシン漁が盛んな時にはまさしく宝島のようだったと、何かの本に書いてあった。北海道では小平町に道の駅、ニシン番屋なるものがあるが、昭和30年までは日本海は本当にニシンの恩恵を受けていたのだなぁと痛感する。温暖化の影響で生態系が変わってくれば現在の道東のサンマなども採れなくなってしまうのだとか。
美国のセイコーマートでパンと牛乳を買い簡単に食事を済ませた後は一気に進んだ。しかし太陽が暑く照りつけているので昨日とは比べ物にならないくらい水分補給が必要であった。徐々に疲労もたまってきていたので、古平町のセタカムイに到着すると海岸に寝そべって大の字になり10分ほど寝入ってしまった。左写真はその時に意識朦朧としながら撮影したセタカムイとヘルメット。
ちょっと体力が回復してから古平の名物、ローソク岩と自転車を撮影。この岩は形がよいにも関わらず普通に撮影してもうまく撮れたためしがない。やはり朝日などと絡めて撮るのがよさそうである。
小樽まで来たとき、徐々に右膝に違和感を覚えるようになった。気にしながら自転車をこいでいたが痛みは徐々に強くなり銭函付近で全く自転車がこげなくなってしまった。まだ札幌までは30km以上ある。張碓の坂は何とか抜けたもののこのままでは家にたどり着くのも大変だ。さっそく近くの薬局でエアーサロンパスを購入し、アイシング・鎮痛を図ったのは言うまでもない。幸い早急な対処により右膝痛は改善したが、もしかすると腸脛靱帯炎を起こしかけていたのかもしれない。日頃のストレッチやトレーニングの大切さを痛感するとともに、万一のために医薬品を携行するのは必須だなと感じたのであった。
札幌市内に入り、新川の橋を渡る。太陽はすでに西に傾きかけていた。長いようで短かった自転車の一人旅。次の旅行ではどのような景色と出会えるだろうか。さらなる旅への想いを募らせるとこれまでの疲れも吹き飛ぶ心地がするのであった。(完)
【2日目データ】
走行距離:126.36km
走行時間:7時間22分54秒
平均速度:17.1km/h
GALLERY
美瑛・富良野
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